徳松じいさん

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祖父徳松の40回目の命日
当時、大学生でバイトに明け暮れていた中で危篤の連絡が入り、大宮から帰省した。
その頃は、特急「白山」が大宮・金沢間で6時間、さらに七尾線で高松駅、そして自宅までの移動があるので7時間かかった結果、臨終には間に合わなかった。
北陸新幹線が走っていれば、間に合ったかもしれない。
アリスの「遠くで汽笛を聞きながら」が流行っていたあの頃から40年たったのですね。

祖父からは特に躾を受けたり、指導された事は殆どなかったが、醸し出していた雰囲気や着物姿での立ち振る舞いや仕草は影響を受けたと思う。
毎朝の日課は5時頃に起床、神棚の水を換えて拍手、その後は仏壇に手を合わせる。
日本茶を入れてキセルでタバコを吸って新聞を読み、、、と続いてゆく。

町会長やいくつかの世話役をやっていた時期もあったようで、よく来客があって相談なのか雑談をしていた。
祖母がいない時は、小学生の私がお客さんにお茶を入れ、内容はわからないまま黙ってその場で聞いていた。

人からの相談に乗るのが好きな性格は、この頃の体験が基になっているかもしれない。

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このページは、wincleが2018年1月23日 19:30に書いたブログ記事です。

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